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眩い光があった。
目を閉じていてもなお、それは眩しく、懐かしい温もりがあった。 『白ちゃん、憎んでは駄目よ。恨んではいいかもしれない。けれど、決して憎んでは駄目なのよ。そして、忘れないで』 懐かしくて、少しだけ苦しい。息が詰まりそうになる。 喉元まで込み上げてくるその名を呼びたい。叫びたい。縋り付きたい。 それでも、声が出ない。音は溢れない。言葉を失くしてしまったかのような絶望感に身を苛まれる。 『愛してあげてね。少しだけでもいいから、彼等を愛してあげなさい。 憎んでしまったら悲しいだけでしょう? 私のようにならなくてもいいの。ほんの少しだけでいいのよ。だから、』 光が急速に色を失くして往く。眩しい光が遠ざかる。 嫌だ、と呟いた。もしかすると叫んでいたのかもしれない。その声はきっと、今よりも随分幼かった。 声にならない声で、叫ぶ。音が無くとも痛いほどに伝わってくる。この感情を知ったのは、いつの頃だっただろうか。 『愚かな母の願い。どうか、忘れないでいて』 憎んでいなかった。恨んでもいないし、それはもう遥か昔のことだ。今更悲しいとも思わない。 ただ、寂しい。それだけだった。 その森の奥深く、人が決して足を踏み入れない場所に、その神社は存在した。 赤い鳥居を潜るとその後には長い石畳が続き、更にその先には低い石段が飾り程度に繋がっている。 そこを越え少しばかり奥、広がる視界には森の内部に存在しているとは思えないほど、立派な境内が待ち構えていた。 鬱蒼と溢れる緑。しかし陰鬱さはなく、そこにはただ穏やかな空間がある。 鳥の囀り、木々のざわめき。平和そのものを象徴する閑かな時が、そこには流れている。 「んー………、うん?」 古びてはいるが、決して脆い印象を与えない板張りの廊下に一人の少年がごろりと身を投げうたた寝をしていた。 その顔付きは穏やかなもので、深緑に囲まれた空間に自然と溶け込んでいるようであった。 少年の体つきはどちらかといえば小柄で、顔立ちは中性的に整っている。 体を包むのは濃緑の狩衣。髪は色素が薄く、太陽に透かせば溶けてしまいそうな茶色である。 肩を過ぎた辺りまでの長さに見えるが、横になっているせいかはっきりしない。 しかし少年のすぐ側に白い結紐が転がっており、結い上げる程度には長さがあることが分かった。 「あー………、」 瞼の裏が、妙に明るい。閉じた瞳の向こう側に違和感を感じて少年は恐々と目を開けた。 その途端に、爆ぜたような光が押し寄せてくる。彼は思わず目を閉じた。 ぎゅっと眉根を寄せ、腕を使って顔を覆う。 あの眩しさの正体はこれだったのか、とぼやけた頭が思考を取り戻し、僅かながらに覚醒した。 どうやら、相当寝入っていたようだ。板張りの廊下に触れる背中が軋み、鈍い痛みを訴えてくる。 腕を退けて目を開けた。太陽は眩い光を放ちながら天高くで輝いている。 「母上の夢、か……」 遠ざかった声が懐かしかった。 耳にいつまでも居残り続ける甘い響きは、ともすれば針で刺したようにちくりと痛み、彼の心臓を震わせる。 少年は腹筋を使い横になっていた身を起こした。その拍子に木造の廊下がみしりと音を立てる。 「もう二百年前になるんだ……。懐かしいはずだよ」 体の下敷きになっていた薄茶色の髪が肩を滑り落ちる。 そこで漸く、少年は自身の髪が自身の背面へ流れている事に気付いた。狩衣へ絡み付こうと散る薄茶の髪は、日の光を受け琥珀色に輝く。 ふい、と視線を巡らすと、艶のある木目に小さく転がった白い紐があった。それを拾い、少年は慣れた動作で自分の髪を結い直した。 「背中痛いなぁ。ここは寝心地が良くない」 少年はうんと伸びをして、再びごろんと寝転がる。 「でも、温かい。日向ぼっこには最適だ」 少年は大きな欠伸を一つ零した。目の端に涙の玉が浮かび、陽光を受けきらりと光る。 元来、少年はのんびりとした性格の持ち主である。小柄ではあるが、その外見はどこの村でも見かける少年の姿だ。 しかし、同時に少年は異様なまでに異質の存在でもあった。 少年のその目は、血に染まったかの如く、深い赤色をしていた。それは、決して人が持つ事のない色であった。 目の周りには同じく赤色で隈取りが施され、さながら夜店で売られる狐面のような模様が描かれている。 それは少年の白くとも健康的な肌には、如何せん不釣合いな代物に見えた。 「うん………もう一眠り」 そう言って目を閉じる。瞼の裏では太陽の光が緩やかに瞬いている。 耳には鳥達の囀りが届く。賑やかなその声は、今日もこの森が平和である証拠だ。 薄っすらと赤く染まる閉ざした視界の中、少年の意識は少しずつまどろみに沈んでいった。 しかし次の瞬間、腹の上に思いも寄らない衝撃を感じた。 それはずしりと重く、不規則に揺れながら、小さな笑い声を伴った。 「なっ、何事……!?」 あまりの事に少年は呻きながら即座に目を開けるが、どうにも体が動かない。 腹の上には、何者かがどっしりと腰を下ろしていた。 どうやらそのせいで、身動きが取れないようだ。陽光を背負うそれは、小さな人型をしている。少年は呆れたように息を吐いた。 「白斗様、おはようございまぁす」 「あのね、白斗様。左京達、ちゃんと森の中を見てきたんだよー?」 少年の腹の上に巫女服を纏った瓜二つの幼女が二人、乗り掛かっていた。 にっこりとあどけない笑顔を浮かべ、その目に浮かべた光はどこか楽しげな様子である。 まるで邪気のない幼い瞳や、転がる鈴のように可憐な笑い声が可愛らしい。 彼女らの丸い大きな目は、確かに幼女らしさを湛えていた。 しかし、少年を映す四つの目は、全て混じり気のない澄んだ赤色であった。 「右京、左京……重いよ」 「右京は重くなんかないもん」 「左京もー」 少年とよく似た薄茶色の髪が不揃いに首筋辺りを揺れる。 幼子特有の丸い輪郭に、舌足らずの言葉。ふっくらとした薄桃色の唇から零れる言葉は少々生意気でありながら、微笑ましいものだ。 これが腹の上でなかったら、あまりの愛くるしさに少年―――白斗は二人を抱き締めたであろう。 「白斗様はお昼寝? お日様気持ちいい?」 「うん、そうだね」 「白斗様あったかいねー。左京達もあったかい?」 「そうだね。でも、二人共。そろそろどいてくれないと僕が起きられないよ」 「えぇー、やだぁ」 「左京もやだー」 声高らかに、小さな幼女達は叫んだ。きゃっきゃっとはしゃぎながら、無邪気に微笑んでいる。 どうやら彼女達には腹の上から下りるという選択肢がないらしく、白斗はひっそりと諦めの溜息を吐いた。 右京と左京に悪気がない分、余計に性質が悪い。 「別に、いいけどね。僕が起き上がればいいだけの話なんだから、さ」 ぐっ、と腹に力を入れて上体を持ち上げる。白斗の両手は幼女達の背を支え、 小さな体が滑り落ちないように配慮しそっと受け止めた。それでも彼女達は飽きることなく、微笑んだままである。 幼子にとってはほんの些細な事であっても楽しいじゃれ合いだ。 ただでさえ淡く色付いた柔らかな頬は笑い声が上がる度に赤く染まり、二人の高い体温を露にする。 鮮やかな赤い瞳は溌剌と輝き、彼女達の健やかさをそのまま貼り付けたかのようだ。 「どうしたの、二人共。今日はいつにも増してご機嫌だね」 「あのね、白斗様」 「お客様だよ。凛ちゃんが遊びに来たっ」 「凛之助が……?」 右京と左京は弾んだ声で白斗の狩衣を引っ張りに掛る。 白斗は顎に指を掛けて、「一体何の用があるんだ」と僅かに首を傾けた。その呟きに呼応するかのように、 右京と左京は腹の上からすとんと下りる。 「凛ちゃん連れてきてもいい?」 「凛ちゃん呼んできてもいい?」 同じ声色が左右の耳を通して木霊する。 「いいけど、どうやらすぐ傍まで来ている様子だよ」 白斗が、ゆっくりと空を仰いだ。若々しい緑の匂いを孕んだ風が彼の前髪を揺らす。赤眼は木々の間を彷徨い、ある一点でぴたりと止まった。 視界に捉えるものは何もない。そこにあるものは、澄み切った青空と、風に流れる雲のみである。 しかし白斗は、気にも留めずその名を呼んだ。 「―――凛之助」 それを合図に、右京と左京は低い階段を下り、目の前に広がる石畳の上へ転がるように駆けて行った。 たん、と撓った廊下が衝撃を吸収し軽やかな音を立てる。 白斗は立ち上がった。結い直していた髪が背を流れ、小さく波打つ。 強張っていた背筋を伸ばしながら、大きな欠伸をする。太陽は未だ、眩しい。寝起きの頭には厳しいほどの眩さである。 「あっかんわ白兄。森の統治者ともあろう人がそないな欠伸して、だらしないで?」 ばさり、と翼のはためく音。そして訛りのある朗々とした声が当然の如く空から降りてきた。 「人じゃないよ。僕はただの狐だよ」 「ただの狐が人型になんぞなれるかい」 その声はおどけたように笑い、大きく旋回しながら着地する。 白斗は軽くあしらうように降りてきた声へ応じる。右京や左京に見せる穏やかさとはまた別の声の調子は、僅かに屹然とした様子が覗える。 しかし、それはどこか身内に対する温かさを秘め染み入るような優しさを含んでいた。 「白兄の冗談はおもろないなぁ」 「君の登場はもっと面白くないよ、凛之助」 「酷いこと言わんといてや」 澄み切った空から降りてきたのは、山伏姿の少年であった。その背には大きな黒い翼が生えている。大きな鴉の翼だ。 少年の髪は目に痛いほど白く、太陽の光を浴びると銀色にも見えた。褐色の肌をしているせいか、余計にその様が映える。 翼がはためく度、首筋辺りで綺麗に切り揃えられた白髪が揺れ、 鮮やかな紫水晶に似た瞳が覗く。その目は、どこか悪戯めいて見えた。 手足の保護のために装着した手甲と脚絆には何重にも数珠を巻き付け、それは首からも同様に提げてある。 数珠は、翼に煽られて巻き起こる風に揺れ動いた。 人の背に大きな翼を生やした姿を取る少年は、人間ではない。人はその背に、翼など持ちはしない。 そして、人にはない紅玉色の瞳を持つ白斗や双子の幼女達もまた、人間という種族には含まれない。 「久しぶり、白兄」 白髪の少年は、にっ、と歯を見せ朗らかに笑った。 □ ■ □ ■ □ ある場所に、広大な森があった。 昔々、その森には一匹の雌狐が住み着いていた。 純白の毛皮に身を包み、長い時を過ごしたその狐は人にも獣にもない不思議な力を持っていたという。 彼女は森と共に生まれ、森と共に生きていた。彼女は森の主であった。 不思議な力。 それは、ある時には人と同じ姿になり人里に現れ、 ある時には森の木々を奪いにきた人間を追い返す為に振るわれた。しかし、その力で人を傷付ける事は決してなかった。 彼女は森を、森に生きる獣を、全ての生き物達を愛していた。生き物達を愛する事こそが、彼女の生き方だった。 ―――それは妖の力だった。 人間はその力を恐れ、滅多なことでは森に近付こうとしなかった。近付く事は禁忌とされていた。 そうして時は巡り、いつしか森には新たな主が生まれていた。 純白の毛皮を持ち、妖の力を持ち、二又の尾を持つ、人の姿に化ける妖狐がその森にはいた。 彼はその赤い瞳で森を見つめ自由気ままに、そして気楽に、長い時を生き抜いている。 |