目に眩しい朝焼けが東の森を包み新たな一日の始まりを告げる。
 木々の隙間から零れる光が大地を差し、青々と茂る草木に命を吹き込む。多くの光を集めようと上に伸びた緑。 その下にはまた別の草花がより多くの陽光を我先に得ようと、その身を広範囲に渡って芽吹かせていた。
 耳に届くのは心地良い鳥達の囀り。新たな一日を喜ぶように弾んだ鳴き声が自由に響き、 やがて羽音を立て空へと飛び立ってゆく。
「右京、左京。そんなに強く掴まれたんじゃ身動きが取れないよ」
 清々しい朝の訪れの中、白斗は困り果てた顔で石段の真ん中に腰を下ろしていた。
 白斗のすぐ脇には巫女姿の幼女達がぴったりと体を寄せている。 小さな体で左右から挟み込むように白斗の腕にしがみ付き、 つんと唇を尖られた様はそのまま彼女らの機嫌を表しているようだ。 瓜二つの顔立ちが揃って同じ表情を見せている様子は傍目からすると大変可愛らしいのだが、 右京と左京は一度臍を曲げると中々機嫌を直してはくれない。
 丸く大きな赤い四つの目はじとりと白斗を睨みつけ、逃げられぬようにと尚更強くしがみ付いてくる。 梃子でもっても動きそうにない右京と左京の頑なさは、見事なまでに息が合っていた。
「だって白斗様、お出掛けするんでしょう?」
「左京達を置いてお外に行ってしまうんでしょう?」
「それは、そうだけど……」
「いつもは右京達も連れて行ってくれるのに」
「危ない事は駄目って白斗様が言ったのに」
 まるで責め立てるように、幼女達は矢継ぎ早に言葉を返す。 そこに普段の素直さは欠片もなく、どうあっても我を通そうと駄々を捏ねる見た目に相応した幼子の姿があった。
 聞き分けのない彼女達の様子に成す術のない白斗はひっそりと溜息を零した。
 瓜二つと称される右京と左京だが、その顔立ちをよく見ると微妙な違いがある事に気付かされる。 性格にも僅かな差があり、右京はどちらかと言えば何事にものんびりと構えているようなおっとりとした性格をしている。 それは柔らかく下がった眉尻や目尻にも表れており、右京の纏う雰囲気はいつだって穏やかだ。 逆に、好奇心旺盛な左京は少しばかり気が強くきゅっと持ち上がった目尻に活発さが溢れている。 弾んだ笑い声が聞こえれば、それは大方左京の方であり右京の手を引いて駆け回っている事も多い。
 素直なはずの幼女達に思わぬ反抗をされ、白斗はこの状況をどうするべきかと頭を悩ませる。 腕を封じる二つの体は、振り解けぬほどの力ではない。引き離す事は容易で、最も手っ取り早いやり方である。
「どうしてなの、白斗様」
「白斗様、どうして駄目なの」
 しかし、悲しげに顔を歪ませた右京と左京を振り払うなど、白斗にはどうあっても無理な事であった。
「左京達が森で遊んでいる時、白斗様は危ない事はしちゃ駄目って言うでしょう?  白斗様も、危ない事はしちゃ駄目なんだよ」
「分かっているよ。大丈夫、危険な事はしない」
「右京達が危なくないよって思っても、白斗様は何があるか分からないって前に言ったよ」
「……これは、困ったな」
 ぎゅう、と腕に力を込め抱きついてくる二つの体からありありとした不安を感じ取り、 白斗は尚更彼女達を振り解けなくなってしまう。一見、駄々を捏ねているようにしか見えない彼女達だが、 実際は全て白斗を気遣っての言動なのだ。それを無碍にするなど、一体誰が出来ようか。
 しがみ付かれ重く垂れ下がったままの腕を何とか動かし、 白斗は幼女達を抱き込む姿勢を取ると彼女達の背を宥めるようにそっと撫でる。
 ほっ、と左右から零れた吐息を白斗は聞き逃さなかった。 硬く強張っていた小さな体は僅かに力を解き、しがみ付くのではなく甘えるために擦り寄ってきた。 可愛らしいその反応に白斗の口元は穏やかに緩む。
「右京、左京。僕が嘘を吐いた事はあったかな」
 彼女達の背を撫でながら、静かに問う。
 両脇では右京と左京の二人が頭を振り、白斗の言葉を否定した。 首が取れてしまいそうな勢いはそのまま彼女達の気持ちを表しているようである。
「ない。白斗様は嘘吐かないよ」
「白斗様は左京達に嘘なんて吐かない」
 ぱっと顔を上げすぐさま言葉を紡いだ右京と左京が必死な様子で訴えてくる。 小さな四つの手は白斗の袖をきつく握り締め、くしゃりと沢山の皺を作った。 白く浮いた爪が痛々しく、白斗は両腕に力を込め幼女達の体を胸元に抱き上げた。
 右京と左京は抱き上げる力を利用して白斗の首に腕を伸ばし、肩口に顔を埋めしっかりと頬を寄せる。 さらさらと項を滑る二人の髪の感触に擽られ身を捩るも、幼女達は決してその腕を放さない。 そこにあるものを刻み込むかのように手繰り寄せる様が白斗の胸を満たし、二人の思いの強さを深く感じ取った。
 何度も、何度も背を撫でた。 そうでもしないと泣き出してしまいそうな彼女達に嘘ではないと伝えるため、白斗は落ち着いた声色でそっと語り掛ける。
「そう、嘘じゃないよ。無茶はしないし、危険な事もしない。約束するよ」
 誠実な響きを乗せて紡いだ言葉に、右京と左京が僅かに顔を上げる気配がした。
 小さく軽い二つの体を胸の前に下ろし視線を合わせると、 そこには白斗をじっと見上げ探るような目で見つめ返す二対の赤い瞳があった。 ほんの少しの嘘も見逃してくれない真っ直ぐな眼差しに微笑で応えるも、彼女達は中々表情を綻ばせてはくれない。 そこで、白斗は両手の小指をそれぞれ右京と左京の前に差し出し、「これでも駄目かな?」と小首を傾げた。
「指切り。針千本は無理だから、もし約束を破ったらその時は右京と左京の言う事を何でも聞くよ」
 赤い瞳が白斗の小指を食い入るように見つめる。その顔には驚きと戸惑いが一度に浮かび、 そのまま彼女達の表情を固めてしまう。注がれる視線を浴び、白斗はただ彼女達からの返事を待った。
 右京と左京が互いに顔を見合わせた。瓜二つの横顔がぎこちなく動き、幾度となく瞬きを繰り返す。 零れんばかりに大きく見開かれた目に、まるで鏡合わせのように己の半身を映し暫しの間息を潜めて見つめ合う。 静まった空気に鳥達の囀りがやけに大きく響いた。
 そして、無言のまま意思の疎通を図ったらしい二人はふいに白斗の顔を見上げた。
「白斗様、約束よ」
「ちゃんと守ってね、白斗様」
 右京と左京が朗らかな笑顔を浮かべ、小さな小指を白斗のそれに結びつける。 幼い指先から伝わる熱がじわりと沁み込み、白斗は息苦しさを覚えるほどの切なさに胸を締め付けられた。
 彼女達の指先からは、熱と共に微かな振動までもが伝わってきた。
 虚勢を張って、それでもなお自身を送り出そうと決めた二人を白斗は誇りに思う。 心中穏やかではないであろうに、可愛らしく笑んでみせる彼女達の強さには誰も敵わない。
「ありがとう、二人共。できる限り急いで戻るから、待っていて」
 小指を絡め固く誓う。
 危険な真似はしない、必ず戻るから、と。まるで今際の言葉のように感じるも、 あまりに真摯な二人を前に他の言葉など思い浮かばない。
「僕が留守の間、凛と水寿の言う事をちゃんと聞くんだよ」
「はい、白斗様」
「我が儘を言って困らせるのも駄目だからね」
「はい。……ねぇ、白斗様」
 こくこくと、首を何度も縦に振る右京と左京が最後にもう一度だけ腕を伸ばし、白斗の両肩に抱きついてきた。
『いってらっしゃい』
 左右の耳元に寄せられた桃色の唇から、気丈な言葉が届く。涙を押し隠すように明るさで取り繕った、懸命な声色。 彼女達のいじらしさが溢れ返った声に白斗の胸は尚更痛む。
 名残惜しくなる事を恐れたのか、小さな二つの体はすぐさま白斗から離れ一目散に森の奥へと駆けていく。 互いに手を取り合い、弾んでは早々に消えていく。
 彼女達が進んだ方向は、水寿の暮らす清らかな泉がある場所だ。 彼女を姉のように慕っている二人の事、自分が留守の間は水寿にべったりと甘えるに違いない。 白斗は苦笑を零すと、音もなく立ち上がり狩衣を軽く叩いて汚れを払う。
 ふと、辺りの気配を探る。 つい先ほどまで響いていた鳥達の囀りがまるで何かに追われるように遠退き、妙な静けさが下りてきている。 その代わり、白斗の傍に近付く二つの大きな気配があった。
「枷月、氷榁。聞いていたのなら加勢してくれてもいいんじゃないかな」
 呆れを含んだ声色を背後に投げ掛け、白斗は空を仰ぐ。 夜が明けてからさほど時が経過していない空は白々と眩しく、薄雲がゆっくりと流れている。 普段と何ら変わらない穏やかな空の様子である。
 しかし、今は変わりない事がひどく不安を誘う。空の続く先に瘴気の根源である悪鬼は確かに存在しているのだ。
 白斗に近付く気配が大きくなる。足音も立てずに近付くそれは密やかに、 しかし確かな存在を示しながら妖狐の背後を取る。 感情を読み取らせない涼やかな笑みを湛えた黄金色を思い浮かべ、白斗は眉間に皺を寄せた。 視線は空から正面へ戻し、広大な森の一部である木々達を視界に捉えた。 燦々と降り注ぐ陽光は今日も変わらず、森の植物達を育む。
「おや、気付いていましたか」
「当然だよ。君は気配を隠す気が全くないからね」
「貴方を相手に、それは意味の無い事でしょう。……話は纏まったようですね」
「まあね。おそらく、本心ではないのだろうけど」
 そっと苦笑を零し、白斗はゆるりと背後を振り返る。
 そこには案の定、口元に薄っすらと笑みを浮かべる枷月の姿があった。 彼の一歩後ろには氷榁が影のようにひっそりと付き添い、走り去った右京と左京の向かった方角へと視線を向けていた。 その目には彼女達二人を気遣う色が浮かび複雑な表情を見せている。
「氷榁、あの子達なら大丈夫だよ」
「ええ……」
「僕が留守の間は水寿があの子達を見てくれる。随分と懐いているから心配する事はないよ。 それに、いざという時は凛がいるからね。凛は普段こそああだけど、根はしっかり者だ。 責任感も強いし、問題はないはずだよ」
「…ええ、そうね。でも白斗さん、できる事なら早いうちに戻ってきましょうね」
「そうだね。……僕も、そのつもりでいるよ」
 氷榁に倣い、白斗は去った小さな二つの体を追うように視線を動かす。
 右京と左京が優先すべきは、いつだって白斗の事だ。彼女達は如何なる時も白斗の思いを一番に優先してくれる。 白斗の願いを思いやり、尊重し、自身の思いを振り払ってでもそれを貫く。 その信念はいっそ痛々しいほど真っ直ぐで、頑なである。
 誰かを思う事に真っ直ぐな彼女達の心に負担を掛けるような事は、白斗とてできる限り避けて通りたいものだった。 ゆえに白斗は、彼女達のためにも瘴気に関わる一連の出来事に早くけりを付けようと強く心に誓った。
 名残惜しいのはおそらく自分の方なのだろう。 必死になって彼女達を説得したというのに、自身が後ろ髪を引かれる思いになろうとは何とも妙な話であった。
「本当に、良いのですね?」
「いいんだよ。これは僕が決めた事だから。…僕の、我が儘みたいなものかな」
「龍の者達から咎めを受けても構わない、と?」
 珍しく慎重な調子で潜められた枷月の声色は見計らったように吹いた風に滲み、白斗の耳朶にじわりと溶け込んだ。
「枷月、君の言いたい事は分かる。 龍族の監視下に置かれている僕がこの件に関して櫂夜にすら話を通さずに行動するなんて、 本来なら決して許されない事だからね。下手をすれば、僕の立場はより一層危ういものになるだろう。 ……最悪の場合、次こそ消される」
 そう言うと白斗は僅かに表情を歪め眉根に細かな皺を寄せた。 鈍い痛みを堪えるようなその顔に、大きな後悔が滲んでいる事は誰の目から見ても明らかであった。 その意味を知る枷月は赤い瞳からゆるりと視線を外す。
 白斗の眼には過去への悔いがある。それはふいに現れ、白斗自身を気紛れに傷付ける。
 逸らされた視線の意味を理解した白斗は困惑気味に笑んでみせた。 だが、彼の笑みは実に中途半端で、まるで泣き笑いのような顔になる。
「けど、この事態に僕が動かないでどうする? 呪われた身を持つ僕は、瘴気と無関係ではないよ。 なりふり構っていられない。僕は、僕のような目に遭う者をもう二度と出したくない。……本当に、我が儘だね。ただの自己満足だ」
「いいえ、白斗さん。あなたも、優しい方なんです」
「ありがとう、氷榁。……さぁ、そろそろ行こう」
 滲むような微笑みを浮かべた鬼の言葉に白斗は力強く頷き先を促した。
 無言で応じる二人の鬼へ再び背を向け、妖狐は歩み始める。その表情は決して明るいものではなく、 眉間に大きな皺が刻まれた厳しいものである。引き結ばれた唇に、硬く引き攣った頬。 全身から滲み出る緊迫感。傍目から見てもただならぬ様子の白斗を、枷月と氷榁が止める事はなかった。
 白斗の赤い眼は前だけを見据えていた。 彼の瞳には芯の通った強い覚悟が浮かび、決して振り返る事はない。 二人の鬼は白斗の決意を感じ取ったからこそ、何も告げる事ができないのだ。



表紙