「おい、紗英。そろそろ帰るぞー。いい加減諦めろよ」
 涼の幼馴染みは性格に多少の問題があるものの、それを除けば勉強もスポーツもそれなりにこなせる器用な人間だ。
 得意な科目は英語と日本史。 スポーツは特に球技が好きで中学の時にはテニス部に所属し、見事にレギュラー部員の地位を獲得していた。 性格は突き抜けるほど明るく、しかし、騒々しいのがたまに傷だ。人見知りはまったくせず友人も多い。
「俺腹減ったんだけど」
「もうちょっと! もうちょっとだけ待って涼ちゃん!」
「つうかお前、生まれた時から俺と幼馴染みやっておきながら野球だけできねぇってどういうことだよ」
 鬼気迫る表情でバットを握り締める紗英にわざとらしく溜息を吐き、 涼は肩に掛けっ放しにしていた鞄を足元に下ろした。
 家が隣同士という関係を長年続けているため、自然と通学を共にしている紗英と放課後に出掛けることは多い。 そのほとんどは紗英の言うあれがしたい、あそこに行きたいという要望に沿ってのことだ。今日も今日とて、 唐突にバッティングセンターで遊びたいと言い出した彼女に付き合い涼は若干面倒臭いと思いながら渋々行動を共にしている。 猪突猛進ともいえる紗英を一人にすることもできず、涼の胸の内は非常に複雑な状況だ。
 離れた場所に鎮座する機械が動き出し、新たなボールを排出する。 同時に金属のバットが勢い良く振られた。 バットを握る紗英は、自身の生み出した遠心力に振り回されフラフラとよろめき「知らないよ!」、 と悔しそうに叫んでいた。どうやら空振りだったようで、掠りもしなかったボールが空しくころんと転がっている。
「この前の体育、ソフトボールやってたじゃん。お前ヒット打ってなかったか?」
「あれはソフト部の子がアドバイスしてくれたのっ。 涼ちゃんの幼馴染みだからって野球できるわけじゃないよ。というか、そんなこと言うならコツでも教えてよ元野球部!」
「紗英に教えるの面倒。お前絶対口答えするから。それに、ソフトで打てたならこっちも大丈夫だろ、たぶん」
「……悔しい、ラケットさえあれば一発で打ち返せるのに」
「アホ、競技を混ぜるな」
 半ば本気で呟く紗英に呆れつつ、涼は段々と暇を持て余し始めていた。
 紗英は暫くの間この場を離れる気はないようだし、 彼女の姿を見ていると久しぶりにバットを握りたい気持ちも湧いてきた。 やることがないのだから、この際バッティングで軽く体を動かしていくのもいいかもしれない。
「紗英、少し代われ」
「やだよ。当たるまで待ってて涼ちゃん」
「それじゃ日が暮れるだろ」
「なにそれ酷くない? 涼ちゃんあたしを馬鹿にしてない? あたしが本気出したらすごいんだよ?」
 ならさっさと本気を見せてみろ、という反論の言葉を涼は心の中で返しておいた。 口に出せば紗英が騒々しく食って掛かってくるのは目に見えている。それは、非常に面倒なことだった。
 零れそうになる溜息をぐっと飲み込み、 涼はバットの感触を確かめているらしい紗英に「次打てなかったら交代な」と、一方的に宣言する。 そうでもしないと彼女は意地でもバットを振り続けるだろう。 負けず嫌いを発揮するならもっと別のところで、できることなら自分とは無関係の場所で披露してもらいたいものだ。
「横暴」
「悔しかったら当ててみろ」
 涼が鼻で笑い飛ばしてやると大袈裟に頬を膨らませた紗英はきっ、と目つきを鋭くして表情を引き締める。
 ぐっとグリップを握り直し、機械を見据える紗英の目はただ真っ直ぐに前を向いていた。 普段の騒々しさを全て排除した、真剣そのものの表情。 数年前、何度か目にしたことのあるラケットを握る彼女の顔とまったく同じだ。 テニスの試合で一心にボールを追う紗英は周囲の応援に一切目もくれず、 ひたすらボールと相手コートに視線を注いでいた。
 涼は知っている。彼女の言う通り、紗英の本気は結構すごいのだ。 普段の言動があれなだけについ疑ってしまうのだが、紗英は決める時には必ず決めてくる。 それも、最高に素晴らしい形で。
 機械が動き出し再びボールを排出する。涼の視界で、紗英の握るバットが躊躇いなく振り抜かれた。
「涼ちゃん! 今ので文句ないでしょ!」
 カーン、と振動で鳴り響く金属音。バットの中心で捉えたボールは前方に押し出され、 鋭いコースに転がっていく。勢いのある打球に涼は、2ベースヒットかなぁ、と呑気な感想を述べた。
「ね、すごい? あたしやればできるでしょ?」
「おー、すごいすごい」
「なにその、ちょっと適当な感じの返事。もっと褒めてよー」
 不満げに口を尖らせる紗英は、 それでも上手くボールを返せたことが嬉しいらしくにこにこと表情を緩めしきりに涼の反応を窺っていた。 褒めてほしい、と訴えてくる目に先ほどまでの真剣さはない。いつも通り、賑やかな雰囲気を放つきらきらとした瞳だ。
 くるくるとよく動く表情が実に彼女らしいと涼は思う。 素直な反応を示す様は、見ている分にもとても気持ちが良かった。
「というか、打てるんなら最初から本気出せって」
「分かってないなぁ、涼ちゃん。必要な時のために今までは温存してたの。本気出すってそういうことだよ?」
「どんな理屈だよ……」
 得意げに言う紗英がからからと肩を揺らしながら笑う。 彼女なりの理屈がどこかにあるようだが、そればかりは涼にも容易く理解できるものではないようだった。
「よーし、この調子でいっぱい打ち返すぞー」
「いや、ほんとそろそろ俺に代われって……そうだ紗英。三回連続で当てたらこの後何か奢ってやるよ。 んで、出来なかったら今度こそ代われ」
「わ、涼ちゃん太っ腹だ」
 涼が意地悪く口角を持ち上げ挑発的な口調で告げると、紗英はそれをも上回る視線を投げてきた。
 確信に満ちた、強い目。絶対の自信を隠しもしない紗英は一度ぐるりと肩を回し全身を解していく。 真剣な顔つきは、どことなく楽しげにも見えた。
「涼ちゃん、後悔しないでよ?」
 一度姿を潜めたはずの彼女の本気が、すぐに顔を覗かせる。


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