特にやることもなく、財前が何気なく外を眺めていると生温い風がそよそよと教室の中を流れていった。
 ここ数日の間は夏らしい天気が容赦なく続いている。 黙っていても暑さを感じる中、気紛れに吹く生温い風は心地良さとはまったくの真逆だ。 不快感を一気に呼び寄せる温度はただ鬱陶しいだけで、あらゆることに対して気持ちが億劫になる。
 どこかに逃げたい。できれば、涼しさを感じられるような場所に。 といっても校内は大体同じような環境に違いないのだ。涼を求めようにも、それに相応しい場所などあるわけがない。
 ならばせめて静かで人の少ない場所がいい。 昼休みの教室はがやがやと賑わい、ただでさえ気温が高いというのに尚更暑く感じてしまう。 ――――となると、図書室か。
 図書委員が図書室にいるという状況に何ら違和感はないはずだ。 むしろ、自然とすら言える。ただ、仕事を押し付けられたくはない。本棚の影になるような、 人目の付かない場所に居座って時間を潰すのが今のところ一番楽な昼休みの過ごし方といえるだろう。
 財前は時間に余裕があることを確かめ、気だるげにゆるりと瞬く。
 昼休みに入ってまだそれほど時間は経過していない。今なら丁度良い場所が空いているだろうと踏んで席を立った。 その瞬間、校内放送を告げる気の抜けるようなチャイムが鳴りガチャ、とマイクのスイッチが入る音が聞こえた。
 昼休みに各部の部長が顧問から呼び出されたり、部員に連絡事項が告げられることはわりと多くある。 この放送もそんなものだろうと気にも留めず財前は教室を後にしようとしたが、 次の瞬間響いてきた声に何となく嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
『ん? 謙也、これもうこのまま喋ってええんか?』
『おー、ええでー』
 締まりのない始まり方にくらりと眩暈を覚えた。 それが普段から嫌でもよく接している人物達なだけに、呆れてものも言えない。
 数名のクラスメイトからテニス部の人や、と声が上がった。
 テニス部レギュラーの三年生は妙に知名度が高く、学年は違えど多くの生徒が顔と名前を合わせて覚えているほどだ。 ちらちらと向けられる視線の意味に気付き、 財前は実に面倒だと言いたげな表情で音声の出処であるスピーカーを見上げる。あの人ら、何やってんねん。
『あ、ユウジそのスイッチは今触ったらあかん。それはマイク切る時に使うんや』
『それをはよ言え。危うく押すところやったわ』
『お前も勝手に色々触ろうとすんな。…ちゅーか、この会話たぶん丸聞こえやな』
『そんなん今更や』
 一体何がしたいのか、全く分からない。というより分かりたくないし、関わりたくもない。
 投げ掛けられるクラスメイトの視線からさっさと逃げ出したい。 財前はスピーカーから流れる声を聞かなかったことにして静かに廊下へと向かって歩き始めた。 たとえ全校生徒が耳にしている放送であろうとも、それを気にしては負けだと思った。
『ほな、ええ加減本題に入るで』
 この流れから唐突に何を始めるというのか。聞かない振りは出来たとしても、 声自体は嫌でも耳に飛び込んでくるためつい頭が先の展開を予想しようと動き出してしまう。
 しかし、次に聞こえてきた言葉は財前の予想を斜め上に飛び越えていた。
『あー、二年七組財前光。今すぐ放送室にきなさーい』
『ええか財前、至急やで。迎えも寄越したからな!』
 ブチッ、と言いたいことだけ勝手に告げてマイクのスイッチは切られたようだった。
 クラス中の視線が一ヶ所に集まる。誰もが皆妙に楽しそうな、それでいて笑いを堪えようとしている目をしていた。 その中心にいるのが自身であることを自覚している財前にとっては、正直堪ったものではないのだが。
 迎えを寄越した、ということは今すぐここを立ち去る必要がある。 何が目的なのかは知れないが、とりあえず関わってしまえば面倒なことにしかならないだろう。
 意味ありげな視線から逃れ、財前は廊下に出ると急ぎ足で図書室に向かおうとした。 背後から「財前、どこ行くつもりなん?」、と声が掛からなければ、図書室に向かえていたはずだった。
「……部長」
「そっち、放送室から遠いんとちゃう? 謙也達至急言うてたやろ?」
「はぁ、何も聞いてませんけど」
 主に女子達の間で小さなざわめきが起こる。
 色に例えるなら目に痛い派手な黄色だ。 控えめな歓声は間違いなく財前の背後にいる人物に向けてのもので、しかし当の本人に気にした様子は全くない。 それが慣れからくるものなのか、はたまた本人の意外にも図太い性格が成せるものなのかは判断がつけにくいところだった。
 仕方なくといった表情で振り返った財前の目にミルクティー色の髪が映る。
「聞こえへんかったならしゃーないわ。とりあえず、一緒に放送室行こか?」
 テニス部部長である白石を寄越す辺り、あの二人の抜け目なさを感じた。 放送を聞き逃げようとしていたことやあえて何も知らない振りでとぼけてみせたことも、 おそらく白石にはばれてしまっているだろう。これでは逃げようがない。
「三年て意外に暇なんすね。いっそ感心しますわ」
「さすが、言うなぁ財前くん。けど、急いだ方がええと思うで?」
「は?」
 含みのある笑みを浮かべる白石に怪訝な表情を隠すことなく、財前はその眉間に小さな皺を刻んだ。
 部長である彼が何を言わんとしているのか、見当もつかない。 ただ、どう考えても彼らは暇を持て余しているように思えるのだ。 そうでなければわざわざ放送室を占拠して後輩を呼び出す必要はない。 そもそも、何か用があれば二年生の教室にも堂々と突入してくるような人達だ。面倒な手段を使う意味が分からない。
 ちらり、と白石の視線が動き教室内のスピーカーを横目で捉えた。
 その瞬間、再び放送を告げるチャイムの高い音が財前の耳に届く。 正面では白石が「あの二人も気ぃ早過ぎや」と、何か面白いものでも見るような顔つきで呟きを零した。
『ざいぜーん、遅いでー』
『こうなったらあれやな、後から文句言うても受け付けへんからな!』
 ここまでくると無視を決め込むわけにもいかず、財前は事情を理解しているであろう白石に「…何がです?」、 と遠慮気味な様子で静かに尋ねた。
 真っ向から尋ねるには悪い予感しかせず、本音を言えば何も知りたくはなかった。 やけに楽しそうな様子で放送を続ける二人のどちらかが手を滑らせ、マイクのスイッチを切ってしまえばいいのに。
「財前、今日が何の日か自分で分かっとる?」
 ふとした白石の問い掛けに、思い当たることは確かにある。しかし、それがどうしたというのか。
 遠回しな物言いに財前は顔を顰めたが、一瞬、脳内に最も面倒な展開が浮かび上がり言葉を失う。 まさか、とは思った。思ったが、放送室はここから僅かに遠い位置にあり走ったところで到底間に合う距離ではないのだ。 最悪や、と吐き出したはずの言葉は結局零すことができずに喉の奥に絡まった。
 パンッ、と派手ではあるが妙に軽快な音が大きく響く。 そこまで用意していたのかと、呆れを通り越し手際の良さに感心してしまった方がいっそ楽になるような気さえした。
『今日は財前の誕生日や』
『おめでとさん!』
『ただしプレゼントは用意してへんからな!』
 クラッカーの音に続いて響いてくる二つの声色は嬉々として明るい。 財前にとってはそれが単純に鬱陶しく、別の意味で億劫になりやる気が削がれてしまう。
「小春は生徒会、千歳は行方不明で銀と健二郎が探しとる。 金ちゃんは、さっきの聞いたらおもろがって放送室覗きにくるやろな」
 どこからどこまでが計算された計画なのだろうか、と財前は目の前で薄く笑う部長を遠慮なく睨みつけた。 ここで溜息の一つでも零してしまえば上手い具合に掌の上で踊らされてしまっただけのように思う。 それは、何となく嫌だった。
 本当は吐き出したい溜息をぐっと飲み込み、とりあえず財前は放送室に向かうことにした。 当然のように横についた白石が「そのうちレギュラー勢揃いになるんとちゃう?」と、 わざとらしく呟くのが憎たらしい。 おそらく、この傍迷惑な茶番を企てたのはテニス部部長であるこの男に違いないのだ。


た と え ば そ れ が き み の  た め
(「あ、ちなみに今日のおやつは冷やしぜんざいやで」「……食います」「そこは素直なんやな」)




(20日はまだ夏休みに入ってないはず……。ともかくおめでとう光!)