おれにはたくさんの兄弟がいる。けれど、肝心の両親はない。
 兄が三人。姉は一人。その下におれがいて、一番下には妹もいる。 街外れにある孤児院で暮らすおれ達は、少しばかり特殊な環境で育ってきた。 親はいないし、親代わりだったおれ達の大事な人は事故で死んでしまうし、 兄弟は一人も血が繋がっていない。(それでも何故か、一番上とその次の兄はよく似ていると思う) おれ達兄弟は荒い縫い目ばかりが目立つ、つぎはぎだらけの家族だった。
 寄せ集めの他人同士。いつだったか、街にいる嫌な大人がおれ達のことをそう呼んでいた。
 子供の耳には、どうせ届きはしないさという顔をして、笑っていた。(嗚呼、なんて、馬鹿な奴)大人は知らない。 子供が何を思って毎日を過ごしているのか。おれが、何を思ってその脇を通り過ぎたのか。
 きっと彼らは知ろうともしないのだろう。おれは、それを知っていた。
「ヒュー、ちょっといいか?」
 一番上の兄が落ち着いた声でおれを呼ぶ。共同の子供部屋にある窓からぼんやりと外を眺めていたおれは、 開けっ放しにしていた扉から顔を覗かせる兄に視線を移した。
「なに、リゼ兄。おれは見ての通り、暇だよ」
「そんなお前に丁度良い仕事がある」
「……あ、ごめんリゼ兄。やっぱりおれ、忙しかった。外を眺めるのに忙しいよ」
「そうかそうか。じゃあお使い、行って来い」
 にっこりと、わざとらしいリゼ兄の笑顔はおれの言葉を受け付けない。一番上の兄は昔から強引だ。
 少し癖のある黒髪に涼しげな切れ長の目。陽気で誰からも好かれる性格。 すらっと高い身長は、同じ男として羨ましくも思う。小さな頃、おれはこの兄に対して大きな憧れを抱いていた。 今でも、その思いは忘れていない。
 リゼ兄が右足を引き摺りながら、おれの傍にまで寄ってくる。 不自由で聞き分けのないリゼ兄の右足はずり、ずり、と音を立てそっと近づいてくる。おれは、素直に諦めた。
「分かった、行ってくる。お使い、行ってくればいいんでしょ」
「サンキュ。トマトと卵、頼むな」
「うん。それ、今日の夕飯? マリー、何作るって?」
「さぁ? サラダの飾りだとか言ってたけどな」
「…それなら、別に買ってこなくてもいいじゃん。行くけどさ」
 リゼ兄が唇の端をくっと持ち上げて笑う。それから、大きな手でおれの頭をくしゃくしゃに掻き回す。 髪が絡まるから本当は止めてほしいけど、リゼ兄が楽しそうに笑うからおれは大して抵抗しない。
 頭に触れる掌の感触は、手付きと違ってひどく優しい。 されるがまま、おれは「じゃあ行ってくるね」と呟いた。リゼ兄は手を離して「いってらっしゃい」と優しく言った。
 ぼさぼさになった髪を手梳きで戻しながら廊下に出ると、すぐそこに三番目の兄がいた。
 フェン兄の薄茶色の目がおれを見て「出掛けるの?」、と尋ねる。おれはこくりと頷き、 トマトと卵を買いに行かされる途中だと答えた。フェン兄は困ったように、 けれど、どこか楽しげにも見える色をその目に浮かべる。
「リゼ兄に頼まれた?」
「というか、押しつけられた? リゼ兄、ひどいよねぇ」
「まぁ、リゼ兄だしね」
 おれとフェン兄は声が届かないように、こっそりと囁き合う。 リゼ兄には内緒で冗談混じりの悪口を言い合うのは、少しのスリルがあって何だかわくわくした。 もちろん、おれもフェン兄もリゼ兄のことが嫌いなわけじゃない。
 穏やかでのんびりとしたフェン兄はリゼ兄ほど背が高くない。 体つきは華奢な方で、どちらかと言えば内気な性格をしている。 (おれとしては、強引な兄が三人もいなくて本当によかった)のほほんとした空気がよく似合って、 傍にいるだけでゆったりとした気分になれる優しい兄だ。
「気を付けてね。寄り道したら駄目だよ」
「分かってるよー。おれ、そこまで子供じゃないよ」
「無駄遣いも駄目だからね」
 「じゃあ、いってらっしゃい」とおれに対してしっかり釘を刺してくるフェン兄は、 時々びっくりするくらいに鋭い。密かなおれの目論みは、端から見破られていた。
 残念な気持ちのまま、おれはフェン兄の脇を通り過ぎる。
 真っ直ぐに続く古びた廊下。目を凝らすと、その木目には無数の小さな傷跡が多く刻まれている。 それらの全てはおれ達兄弟が元気一杯に育ってきた証拠だ。ふざけ合い、 時には本気で喧嘩をする。躓いた拍子に出来た傷、悪戯目的でわざと刻んだ傷。 一本の廊下にはそんな歴史がひっそりと隠されている。
 きしきしと賑やかな悲鳴を上げる廊下をそっと抜け、六人掛けの大きなテーブルがほとんどを占めるダイニングに出る。 その上には丁寧に編み込まれた作りの籠状のバッグが置かれていた。サイズの大きなその籠は、買い物専用だ。
 食糧を一気に買い込んでも平気そうなそれがすでに用意されているということは、 おれに拒否権も逃亡する権利もないということだ。おれは溜息を吐いて、「面倒だなぁ…」なんて呟く。
「面倒なんて言わないで、さっさと行ってきなさいよ」
 おれが零したやる気のない本音に、きっぱりと応える凛とした声があった。
「だってマリー。リゼ兄ひどいんだよ」
「そんなの昔から知ってるよ。あんたが暇そうにしてるから悪いんじゃない」
「うわ、それを横暴って言うんだ」
 短いけど、柔らかそうに揺れる赤毛。女の子というよりどちらかと言えば中性的な顔立ちは綺麗で、 強い意志が見え隠れする。物事をはっきりと言うきつい口が本当は優しいことをおれは知っているし、 リゼ兄達も分かっているはずだ。
 その年齢から、孤児院内ではおれの姉という立場になるのがマリーだった。 けれど、おれはマリーを姉と呼んだことは一度もない。思ったこともない。
「エルザ、いないの?」
「遊び疲れて眠っちゃったよ。ヒュー、あんたまさか、あの子連れていくつもりだったわけ?  駄目だよ、間違いなく余計なものまで欲しがるから」
 姿が見えない妹について尋ねると、マリーは困ったような目でそう答える。
 淡い金髪に真っ青な目がよく似合う、おれ達の可愛い妹。 リゼ兄は可愛らしい彼女にいつ悪い虫が付くかと気が気でないらしい。 それは、さすがに早過ぎる杞憂じゃないかとおれは思うけれど、人懐っこいエルザには時間の問題かもしれない。 街にいる子達がエルザのことを可愛いと囁き合っているなんて、リゼ兄には絶対に秘密だ。
 苦笑とも取れる表情のマリーに「違うよ」、と一言返しテーブルの上から籠を掴む。 中に長方形型の財布が入っていることを確認。買うべきものは、トマトと卵の二つだ。
「マリー、トマトはいくつくらい?」
「そうだなぁ……五個入りの袋があるはずだから、それを一つお願い」
「分かった。お釣りで何か買ってもいい?」
「何か買えるほどのお釣りは出ないと思うけどね」
「ケチ」
 おれの口から零れる拗ねた口調に、ころころと声を転がしてマリーが笑う。 その、何気ない笑い声がおれの耳には何か特別なもののように聞こえる。 実際、おれにとってマリーは少しだけ特別な存在だった。
 でもきっと、彼女はそれを知らない。
 だからおれも、今はまだ知られないように隠している。
 大事な、大事なマリー。おれがこの世界で唯一、家族と認めていないたった一人の女の子。 おれ達には血の繋がりなんてない。(姉と弟なんかじゃ、ない)
「はいはい、文句言ってないでさっさと済ませてきてよ。夕食が遅くなるよ」
「分かってるよ。いってきまーす」
 だっておれ達は、寄せ集めの他人同士。
 きっと、誰も知らないだろう。気付きもしないだろう。 おれが、にこにこと笑いながら何を思っているのかなんて、分かりはしないんだろう。 それがおれにとっての救いだ。おれは、絶対に気付かれてはいけない。 おれが家族の存在を否定しているだなんて、知られてはいけないのだ。



シ ー ク レ ッ ト デ イ ズ



「ヒュー、どうした」
「……何でもないよ、グー兄。ちょっとボーっとしてただけ」
 やけくそ気味に買い物を済ませた帰り道で、おれ達の二番目の兄であるグー兄と偶然に遭遇した。 仕事帰りらしいグー兄は少し疲れた顔をしていた。
 真っ黒で癖のない短髪。背はおれよりもずっと高くて、リゼ兄すら追い越しているらしい。 その身長もあって、黒いシャツにジーンズという飾り気のない格好でも十分に様になる。同じ男として羨ましい限りだ。
「あんまりボーっとしてんなよ。転ぶぞ」
「おれ、そこまでドジじゃないよ。グー兄、バカにしないでよ」
「どうだか。お前は昔からとろいからな」
 グー兄の黒い目にからかうような色が覗く。 それが、何だかすごく優しい目をしていて、無性に泣いてしまいたくなった。
 ごめんなさい。
 喉元までせり上がってくる言葉をぐっと飲み込む。飲み込んで、胸の奥で何度も呟く。 ごめんなさい。否定するばかりで、家族になれなくて。
「そんなことないよ。ひっどいなぁ、グー兄」
 出来るならおれは、みんなと一緒に家族になりたかった。